ゲイ歴
2004年3月28日2000年
同級生の唯一の親友を好きになる。どうしていいか分からなかった。
アダルトビデオ見ても、男優を見るようになった。男優を親友とダブらせて見るようになった。
女性とセックスしても、頭の中では親友の顔を思い浮かべていた。
同性といると友達以上のモヤモヤ感が生まれる事になる。
彼女と別れた。
同性のノンケの友達が何故か羨ましく、自分が惨めに見えてきた。
親とも少しの事で衝突し出した。
親友に彼女が出来た。
親友と遊ぶ時間が無くなり、俺も彼を少しづつ避けた。顔を見るのも辛くなった。
2001年
親友にも何も言わずに、現実逃避をする。
逃避先で、初めてカミングアウトを、あるヘテロの男性Kにする。
初めて自分の性癖を他人に受け入れてもらった。
たまに一緒のベットに寝る事もあった。
ふざけ会うだけだったが、男性の体に安堵感を感じる事が出来た。
初めてゲイビデオを見たのもこの頃。無修正の外人ものはビックリしました!
少しKに恋もした。でもそんな考えを、まともにする暇も無く毎日が忙しかった。
それが嬉しかった。
で、最後の一人旅先で成り行きの体験をした。
好奇心と不安と悲しみ。なんで南半球でこんな事をしてるのかな(笑)
自分はゲイだと認識して新たな1歩を踏み出す事となる。
2002年
帰国して、自分はゲイだと悟ったが、さてどうしていいのか迷った。
学年は1年下の学生達と一緒に授業を受けるのだから、周りに同期の友達がいないから、また一人孤立してしまった。
掲示版で知合う方法を知っていた。でも情報を漏らすことがとても怖かった。
バーに行くことも出来たが、お酒があまり飲めないし、人付き合いが苦手な俺は知合いもいない所に一人では行けなかった。
神戸の発展場に行った。同じゲイの人と話がしたいという気持ちと、好奇心もあった。
それが間違いなのか、正しいのか。とにかく悩みを分かち合いたかった。
綺麗事に聞こえるかもしれないが、手っ取り早くゲイに会いたかった。
想像していたよりも中は暗かった。
同じ世代の人達がけっこういた。
暗いほうが嬉しかった。コンプレックスが隠せるし、怖い感覚の中でも暗さの中に安堵感があった。
談話室は、白熱灯の柔らかい光の中、ゆったりとしたソファが置いてある。
緊張して座っていると、声をかけられた。
思いきって、「少し話がしたい」と言ったのを覚えている。
たくさん色んな話をした。この人なら大丈夫かなという気持ちになった。
帰り際に俺の携帯のアドレスを聞いてきた。しかし自分の情報を漏らすのが怖くて教える事が出来なかった。
矛盾してるよな。相手と顔を合わせときながら、自分の情報を与えるのが怖い。
相手は機嫌を悪くしたようだ。少し汚い言葉を罵られた。心臓が飛び出るほど怖かった。
発展場の印象=ゲイの印象=簡単にイケメンとデキるんだ。=最低な人種なんだ(自分はどうなんだと、ツッコミをいれて。)
でも、こんなことを思いながらも、同性を性的な目でみてしまうゲイだった俺は、同じゲイの人に会いたかった。
発展場に来る人は、みんながみんな悪い人ではない。しかし目的は発展しに来ているのであって、どれだけ綺麗事を並べても最後には関係してしまう。
自分の中でも、その場限りのセーフセックスに慣れてしまった。
適当にカッコイイ人がいたら、20代の若さだけが武器だったから、(ビジュアルには全く自信がないけど)相手にはさほど困らなかった。ただ何かが崩れていってるのを、必死で手で押さえているのは自分でも感じていた。
セックスは出来るが、それまでの関係を(友達関係や信頼関係)を気付けなかった。
あたりまえごとく、その場限りだから。
それに、綺麗事では言えないからなあの空間は。
すかした野郎だと掲示板にも書かれた。
何も掴む事ができなった。何も得る事が出来なかった。もう得ようとする気力よりも快楽にまけた。
2003年
就職が上手く行かず、やけを起こして初めて出会い系のゲイの掲示板に投稿してみた。
もうどうにでもなれって感じ。
面白いほど、メールが来る。
何なんだこの世界は?
色んなメールが来た。自分の顔写真添付してあったり、全裸を添付してあったり。
いきなり性行為を求めてくるのとか様様だった。
写メは送れないといったら、大半が途中でメールを止めた。
なぜかウンザリした。
その中に、真面目な文章で同年齢の人からのメールがあった。
写メは送らないと書いて送ったら、それでもいいよといってくれた。
その人とはメールで色んな事を話した。くだらない事から真面目な話まで。
すると相手が1度会わないかといってきた。
本心困った。自分に自信がないから、容姿にコンプレックスがあるから。人付き合いが苦手だから。
とにかく、ゲイの人と付き合うためのマニュアル本を読んで、就活の帰りに岡山駅で待ち合わせた。
初めて太陽の下で出会ったゲイがU君だった。
同級生の唯一の親友を好きになる。どうしていいか分からなかった。
アダルトビデオ見ても、男優を見るようになった。男優を親友とダブらせて見るようになった。
女性とセックスしても、頭の中では親友の顔を思い浮かべていた。
同性といると友達以上のモヤモヤ感が生まれる事になる。
彼女と別れた。
同性のノンケの友達が何故か羨ましく、自分が惨めに見えてきた。
親とも少しの事で衝突し出した。
親友に彼女が出来た。
親友と遊ぶ時間が無くなり、俺も彼を少しづつ避けた。顔を見るのも辛くなった。
2001年
親友にも何も言わずに、現実逃避をする。
逃避先で、初めてカミングアウトを、あるヘテロの男性Kにする。
初めて自分の性癖を他人に受け入れてもらった。
たまに一緒のベットに寝る事もあった。
ふざけ会うだけだったが、男性の体に安堵感を感じる事が出来た。
初めてゲイビデオを見たのもこの頃。無修正の外人ものはビックリしました!
少しKに恋もした。でもそんな考えを、まともにする暇も無く毎日が忙しかった。
それが嬉しかった。
で、最後の一人旅先で成り行きの体験をした。
好奇心と不安と悲しみ。なんで南半球でこんな事をしてるのかな(笑)
自分はゲイだと認識して新たな1歩を踏み出す事となる。
2002年
帰国して、自分はゲイだと悟ったが、さてどうしていいのか迷った。
学年は1年下の学生達と一緒に授業を受けるのだから、周りに同期の友達がいないから、また一人孤立してしまった。
掲示版で知合う方法を知っていた。でも情報を漏らすことがとても怖かった。
バーに行くことも出来たが、お酒があまり飲めないし、人付き合いが苦手な俺は知合いもいない所に一人では行けなかった。
神戸の発展場に行った。同じゲイの人と話がしたいという気持ちと、好奇心もあった。
それが間違いなのか、正しいのか。とにかく悩みを分かち合いたかった。
綺麗事に聞こえるかもしれないが、手っ取り早くゲイに会いたかった。
想像していたよりも中は暗かった。
同じ世代の人達がけっこういた。
暗いほうが嬉しかった。コンプレックスが隠せるし、怖い感覚の中でも暗さの中に安堵感があった。
談話室は、白熱灯の柔らかい光の中、ゆったりとしたソファが置いてある。
緊張して座っていると、声をかけられた。
思いきって、「少し話がしたい」と言ったのを覚えている。
たくさん色んな話をした。この人なら大丈夫かなという気持ちになった。
帰り際に俺の携帯のアドレスを聞いてきた。しかし自分の情報を漏らすのが怖くて教える事が出来なかった。
矛盾してるよな。相手と顔を合わせときながら、自分の情報を与えるのが怖い。
相手は機嫌を悪くしたようだ。少し汚い言葉を罵られた。心臓が飛び出るほど怖かった。
発展場の印象=ゲイの印象=簡単にイケメンとデキるんだ。=最低な人種なんだ(自分はどうなんだと、ツッコミをいれて。)
でも、こんなことを思いながらも、同性を性的な目でみてしまうゲイだった俺は、同じゲイの人に会いたかった。
発展場に来る人は、みんながみんな悪い人ではない。しかし目的は発展しに来ているのであって、どれだけ綺麗事を並べても最後には関係してしまう。
自分の中でも、その場限りのセーフセックスに慣れてしまった。
適当にカッコイイ人がいたら、20代の若さだけが武器だったから、(ビジュアルには全く自信がないけど)相手にはさほど困らなかった。ただ何かが崩れていってるのを、必死で手で押さえているのは自分でも感じていた。
セックスは出来るが、それまでの関係を(友達関係や信頼関係)を気付けなかった。
あたりまえごとく、その場限りだから。
それに、綺麗事では言えないからなあの空間は。
すかした野郎だと掲示板にも書かれた。
何も掴む事ができなった。何も得る事が出来なかった。もう得ようとする気力よりも快楽にまけた。
2003年
就職が上手く行かず、やけを起こして初めて出会い系のゲイの掲示板に投稿してみた。
もうどうにでもなれって感じ。
面白いほど、メールが来る。
何なんだこの世界は?
色んなメールが来た。自分の顔写真添付してあったり、全裸を添付してあったり。
いきなり性行為を求めてくるのとか様様だった。
写メは送れないといったら、大半が途中でメールを止めた。
なぜかウンザリした。
その中に、真面目な文章で同年齢の人からのメールがあった。
写メは送らないと書いて送ったら、それでもいいよといってくれた。
その人とはメールで色んな事を話した。くだらない事から真面目な話まで。
すると相手が1度会わないかといってきた。
本心困った。自分に自信がないから、容姿にコンプレックスがあるから。人付き合いが苦手だから。
とにかく、ゲイの人と付き合うためのマニュアル本を読んで、就活の帰りに岡山駅で待ち合わせた。
初めて太陽の下で出会ったゲイがU君だった。
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